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スージー・クーパー・ストーリー(1)

  英国のすばらしい人々

スージー・クーパー・ストーリー(1)

2009年12月12日



先日は、スージー・クーパーのポット
をご紹介いたしましたが、今日はスージー・クーパーというその人自身について少しご紹介したいと思います。
  





    英国・コッツウォルズより愛をこめて





スージーは1902年、つまりヴィクトリア時代の終わりとされる1901年の翌年に生まれました。



スージーは子供のころから、お絵かきが大好きでペンとノートさえ与えておけば何時間でもひとりで遊んでいるような子供だったようです。






      英国・コッツウォルズより愛をこめて






父親のジョンは彼の父親、つまりスージーの祖父が経営していたベーカリーや食料品店の事業を引き継ぎ、事業はうまくいっていましたので、スージーは比較的裕福な家庭で育ちました。





父親は、お店に並べる商品のための農園も経営していたため、スージーは小さい頃から多くの植物や動物に接しながら育っていったのです。後年、スージーは一人息子のティモシーのために、これらの様子をウッドパネルに描いています。彼女にとって、これらの思い出はかけがえのないものだったようです。





しかし、人生というものはいつでも平穏であるとは限りません。地方判事や教会のサンデースクールの教師もしていた地元名士であった父親のジョンが、彼女が12歳のとき(1914年)に亡くなってしまうのです!


また、それと同時期に英国は第一次世界大戦へと突入していくのです。スージーは地元の公立校からいわゆるお嬢様学校へメイドつきで転校していたのですが、戦争による人手不足のため、父親の事業の跡を継いだ3人の兄たちによって家に呼び戻されてしまいます。そして家業の手伝いをしなければならなくなります。




それらの経験は、スージーにとっては大変ではあったものの、ビジネスを勉強するという意味合いにおいては、価値あるものだったようです。




上記のような事情があったとはいえ、スージーは7人兄弟姉妹の末っ子でしたので、比較的将来を自由に選べる立場にあったようです。その後、タイピングの学校に入学しますがこれは自分のやりたいことではないとすぐに気づき、結局はストーク・オン・トレント(英国の陶器の里と言われている街)のアート・スクール「Burslem school of art」へ入学することになります。





その後、スージーはファッションの勉強をしたかったようですが、当時はファッション・スクールというものは存在しなかったようで、そのことを知った彼女の恩師、ゴードン・フォーサイス(Gordon Forsyth)の勧めで王立芸術学院(Royal Academy of Arts)の奨学生としての入学を希望します。





しかし、その制度をうけるためには応募時にどこかで働いていることが条件だったため、恩師フォーサイスがフリーのデザイナーとして働いていた会社、グレイ社(A. E.Gray and Co., Ltd)に就職を勧めます。




1922年、スージーは恩師の勧めに従い、グレイ社に入社します。グレイ社の社長、A. Edward Grayがスージーを連れて王立芸術院を見学に行きましたが、スージーはそこで勉強することを選びませんでした。なぜ、行かないことを選んだのかは、今となってはその理由はまったくわかりません。しかしながら、そのことが、英国の20世紀を代表する女性陶器デザイナーを誕生させることになるのです。




グレイ社に入社したスージーの当初のポジションはペイントレスと呼ばれる、見習いの下絵付けにすぎませんでした。お給料も絵付けをこなした量によって支払われる歩合制でした。





しばらくそんな仕事を続けたスージーでしたが、そのポジションに満足できなくなった彼女はグレイ社長にその不満を訴えました。幸運なことに社長も自社のデザイナーの仕事ぶりに満足していなかったので、スージーは晴れてデザイナーへと昇格することができたのでした。



1923年、グレイ社はスージーの恩師であるフォーサイスと共同で、ラスター・ウェア(= ラスター彩、表面に虹色の光を発する陶器)を発表し、それらがグレイ社を代表する最高級な陶器となります。





そのプロジェクトにスージーも参加、1924年には大英帝国博覧会(British Empire Exhibition)とアール・デコの最も権威のある博覧会パリ・デコラティヴ芸術博覧会(Paris Decorative Arts Exposition)にスージーの作品が展示され、その作品がパリの博覧会で銀メダルを受賞しました。




       英国・コッツウォルズより愛をこめて





1925年、スージーと姉のアグネスは自分たちが働いてつくった資金で、英国陶器の故郷ストーク・オン・トレントの北部バディリー・エッジにバンガローを建て、そこをアトリエをつくりました。なんとそれはスージーが23歳のときのできごとでした!




一見すべては順調に進んでいるかのように見えたのですが、誰も予想もしなかった大きな問題が、この後スージーたちにおそいかかってきます。




さぁ、スージーの運命や如何に 泣!?





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クリスマス特集2009




思い出に残る、自分磨き・自分買いのグッズから極上ケーキ、スイーツ、グルメまで。


  英国のすばらしい人々

映画「ダイアナ」

2013年10月2日


英国では先月に封切られた映画「ダイアナ」を見てまいりました。



英国アンティークス




日本での封切りは10月18日となるようですので
ここで内容を暴露するつもりはありませんので、ご心配なく (*^_^*)


ダイアナ妃を演じたのは、英国出身のナオミ・ワッツさん。


彼女はダイアナ妃を演じるために、彼女のビデオを
繰り返してみて、しゃべり方やしぐさを研究したそうです。

そのかいあって、ちょっとした表情や
目の動きなどかなり似ているように見えましたよ。




英国アンティークス





この映画はダイアナ妃が亡くなる直前の2年間のみになっておりますので、
彼女の伝記的なものを期待していかれると、期待外れにおわります~




ただ、2時間程度の映画にまとめるには、その2年間の
ストーリーでちょうどよくまとまっていたように感じました。


今までは、彼女が亡くなるときに車に同乗していた
ドディ・アルファイド氏が彼女の最後の恋人だとされていましたが、
の映画でこれまで公に知られることの
なかった彼女の本当の恋人の存在が明らかになります 


おっと



これ以上話しますと、ネタバレになってしまいますので、
これ以降は実際に映画をご覧になってくださいね。





英国アンティークス



純真無垢で何も知らなかった貴族のお嬢様が、
目の前に現れた王子様と幸せな結婚をしました~。

めでたしめでたし‥‥となるはずが、



英国アンティークス



2人の間には、埋めようのない隙間ができてしまいます。


それは皆さまもご存じのとおりですが、この映画では
その彼女の悲しみがよく表現されていました。



英国アンティークス





「50億人が私のことを愛しくれると言ってくれるけど、
誰一人私のそばにいてくれない!」




というセリフは彼女の孤独を表していましたね~。

また、最後のセリフも泣かせてくれました~



その他、リッツホテルのスイートルームも素敵でしたし、
ロンドンや英国のカントリーサイドの景色も見られますので、
英国ファンにはうれしいのではないでしょうか




というわけで、この映画は英国ファン必見!
の映画だということができると思います




映画をご覧になる前に下のダイアナ妃のインタビュー(日本語字幕有)を
ご覧になって「予習」されておくと、より映画を楽しむことができますので
ぜひぜひご覧になっておいてくださいね。








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まったくできていなかったのですが、これからまた頑張ってまいりますね。

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英国発・おちゃめなセレブリティ
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英国アンティークス

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■ 英国アンティークス

とっておきスポードのトリオ

2009年7月16日



スポードは1770年にジョサイア・スポードによって、焼き物の街として知られております、ストーク・オン・トレントに創業されました。これは、昨日のコープランド・スポードのコーナーにも書かせていただきました。



1778年にジョサイア・スポードは、息子にロンドンに自社のショー・ルームを開設させるんですね。



1778年にショー・ルーム!!



今から230年以上前ですよ。進んでませんか?日本でいうと、江戸時代の安永7年にあたります。





英国・コッツウォルズより愛をこめて-スポードNo.4306






そのショールームを負かされた息子さんは7歳(!)の時から陶器作りをはじめたと言われています。



昨日も書きましたように、銅版転写技術の開発をはじめ、カオリンやクレイ・岩石などを混ぜて作る方法も開発し、白く透きとおった陶器を作り出したことでも有名です。1816年に発表された「ブルー・イタリアン」は現在もスポードの定番品として世界中で愛されていますね。





英国・コッツウォルズより愛をこめて-スポードNo.4306




それだけではなく、陶器と磁器の両方の長所を持つストーン・ウエアの開発にも成功しているんですね。ストーン・ウエアと聞けば、現在ではル・クルーゼが有名ですが、実はこのストーン・ウエアのオリジナルはスポードにあったんですね。



そのストーン・ウエア開発の功労を評価され、英国王室御用達(ロイヤル・ウォラント=王室委任状)の称号を授かりました。



‥‥と、能書きはこのくらいにしてっと。





英国・コッツウォルズより愛をこめて-スポードNo.4306






今日ご紹介させていただておりますのは、私のカップの中でもっともお気に入りのひとつスポードのパターンNo.4306です。コーヒーと紅茶のカップとプレートのセットになっております。





英国・コッツウォルズより愛をこめて-スポードNo.4306




コーヒーと紅茶を同時に飲むことはないので、プレートは一枚でよい、という合理的な精神があったようで、こういうトリオの組み合わせは結構あります。



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英国四大名窯スポードのトリオ


本文でご紹介いたしましたお品です。すべて手描きのとても豪華なつくりになっています。