先日は、スージー・クーパーのポット
をご紹介いたしましたが、今日はスージー・クーパーというその人自身について少しご紹介したいと思います。
スージーは1902年、つまりヴィクトリア時代の終わりとされる1901年の翌年に生まれました。
スージーは子供のころから、お絵かきが大好きでペンとノートさえ与えておけば何時間でもひとりで遊んでいるような子供だったようです。
父親のジョンは彼の父親、つまりスージーの祖父が経営していたベーカリーや食料品店の事業を引き継ぎ、事業はうまくいっていましたので、スージーは比較的裕福な家庭で育ちました。
父親は、お店に並べる商品のための農園も経営していたため、スージーは小さい頃から多くの植物や動物に接しながら育っていったのです。後年、スージーは一人息子のティモシーのために、これらの様子をウッドパネルに描いています。彼女にとって、これらの思い出はかけがえのないものだったようです。
しかし、人生というものはいつでも平穏であるとは限りません。地方判事や教会のサンデースクールの教師もしていた地元名士であった父親のジョンが、彼女が12歳のとき(1914年)に亡くなってしまうのです!
また、それと同時期に英国は第一次世界大戦へと突入していくのです。スージーは地元の公立校からいわゆるお嬢様学校へメイドつきで転校していたのですが、戦争による人手不足のため、父親の事業の跡を継いだ3人の兄たちによって家に呼び戻されてしまいます。そして家業の手伝いをしなければならなくなります。
それらの経験は、スージーにとっては大変ではあったものの、ビジネスを勉強するという意味合いにおいては、価値あるものだったようです。
上記のような事情があったとはいえ、スージーは7人兄弟姉妹の末っ子でしたので、比較的将来を自由に選べる立場にあったようです。その後、タイピングの学校に入学しますがこれは自分のやりたいことではないとすぐに気づき、結局はストーク・オン・トレント(英国の陶器の里と言われている街)のアート・スクール「Burslem school of art」へ入学することになります。
その後、スージーはファッションの勉強をしたかったようですが、当時はファッション・スクールというものは存在しなかったようで、そのことを知った彼女の恩師、ゴードン・フォーサイス(Gordon Forsyth)の勧めで王立芸術学院(Royal Academy of Arts)の奨学生としての入学を希望します。
しかし、その制度をうけるためには応募時にどこかで働いていることが条件だったため、恩師フォーサイスがフリーのデザイナーとして働いていた会社、グレイ社(A. E.Gray and Co., Ltd)に就職を勧めます。
1922年、スージーは恩師の勧めに従い、グレイ社に入社します。グレイ社の社長、A. Edward Grayがスージーを連れて王立芸術院を見学に行きましたが、スージーはそこで勉強することを選びませんでした。なぜ、行かないことを選んだのかは、今となってはその理由はまったくわかりません。しかしながら、そのことが、英国の20世紀を代表する女性陶器デザイナーを誕生させることになるのです。
グレイ社に入社したスージーの当初のポジションはペイントレスと呼ばれる、見習いの下絵付けにすぎませんでした。お給料も絵付けをこなした量によって支払われる歩合制でした。
しばらくそんな仕事を続けたスージーでしたが、そのポジションに満足できなくなった彼女はグレイ社長にその不満を訴えました。幸運なことに社長も自社のデザイナーの仕事ぶりに満足していなかったので、スージーは晴れてデザイナーへと昇格することができたのでした。
1923年、グレイ社はスージーの恩師であるフォーサイスと共同で、ラスター・ウェア(= ラスター彩、表面に虹色の光を発する陶器)を発表し、それらがグレイ社を代表する最高級な陶器となります。
そのプロジェクトにスージーも参加、1924年には大英帝国博覧会(British Empire Exhibition)とアール・デコの最も権威のある博覧会パリ・デコラティヴ芸術博覧会(Paris Decorative Arts Exposition)にスージーの作品が展示され、その作品がパリの博覧会で銀メダルを受賞しました。
1925年、スージーと姉のアグネスは自分たちが働いてつくった資金で、英国陶器の故郷ストーク・オン・トレントの北部バディリー・エッジにバンガローを建て、そこをアトリエをつくりました。なんとそれはスージーが23歳のときのできごとでした!
一見すべては順調に進んでいるかのように見えたのですが、誰も予想もしなかった大きな問題が、この後スージーたちにおそいかかってきます。
さぁ、スージーの運命や如何に !?
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クリスマス特集2009 |
8 Comments
1. はじめまして
つづきを楽しみにしております。制作者について知ると、視点が変わります。
http://ameblo.jp/serenissima/
1 ■スージー!!
(‐^▽^‐)うん
素敵な積極性と信念に自然への感覚を持った女性とお見受けしました
すてきなことですね
(^-^)/~~~
http://ameblo.jp/104bo/
2. Re:はじめまして(セレニシマさんへ)
>セレニシマさん
初コメントと先日は読者登録もありがとうございました!
スージーの作品は日本の方にもとてもよく知られていて人気があるのですが、スージー自身のことはあまり話題にならないようですので、今回取り上げてみました。
セレニシマさんのおっしゃるとおり、作品を作った人の生き方や人格を通じて作品を見ると、物への見方が変わってきますね。明日の後編もどうぞお楽しみくださいね。
Mia
http://ameblo.jp/eikokuantiques/
2 ■続きが楽しみ・・・
恵まれた環境で育ちながらの波乱万丈、わくわくしてしまいます!早く続きが知りたいよ~!(笑)
http://ameblo.jp/chuchunezumichan/
3 ■無題
好きなアーティストはどんな人か、気になりますものね!
戦時中の方なのにこんなに詳しくご存知なんですね。
しかし「陶器」(食器?)のデザイナーにこの時代の女性がなっていくって相当珍しかったのでしょうね…
http://ameblo.jp/akago-mam/
4 ■Re:スージー!!(としぼうさんへ)
>としぼうさん
まさにとしぼうさんが簡潔におっしゃってくださったとおりの女性だと思います。
逆境に負けず、前向きに生きるということは簡単なことではありませんので、そんな人たちのことを知ると、私はいつも励まされます。
Mia
http://ameblo.jp/eiokuantiques/
5 ■Re:続きが楽しみ・・・(ちゅうちゅうねずみちゃんへ)
>ちゅうちゅうねずみちゃん
スージーのことを知るにつけ、努力の人であるということがわかってきます。
明日はスージーに数々の大変な事件が起こります、お楽しみに!(笑)
Mia
http://ameblo.jp/eiokuantiques/
6 ■Re:伊豆・赤子母さんへ
>伊豆・赤子母さん
そうなんですよね、作品そのものはもちろん好きなんですが、作った人なり時代背景などを見ていくと、より面白いですね。いろいろなできごとがあって、私の手元にそんな一品が来ているということは不思議な感じさえします。
ところで、この戦時中ですが1914-18年にかけてあった、第一次世界大戦のお話なんですよ。日本で戦争というと、第二次対戦のことだと思われることが多いですので念のため。英国でも女性がやっと選挙権などを得るようになってきた時代ですので、それは本当に珍しく大変なことだったでしょうね。
Mia
http://ameblo.jp/eiokuantiques/