先日よりご紹介しております、アンティーク・ショップの中で、今日は陶磁器をご覧いただきますとともに、西洋白磁の歴史を少しひも解いてまいりましょう。
今の時代でこそ、西洋の白い素地のカップやプレートはごく当たり前のように感じられるかもしれませんが、この「白い素地」が生み出されるまで、長い道のりがあったことを、まずは述べておかなければなりません。
18世紀初頭まで、東洋からシルクロードなどを経由してもたらされた白い素地の磁器は西洋人の憧れであり、まさに神秘的な象徴そのものであったと伝えられています。
しかしながら、当時その白い宝石=磁器を西洋で作り出すことは、限りなく不可能、まるで錬金術のようであると考えられていたそうです。
14世紀頃から巨大な財力と権力を誇ったイタリア・フィレンツェのメディチ家やドイツでも、白磁開発のさまざまな研究をする一方で、17世紀の大航海時代の到来により、中国や日本の磁器製品がどんどん西洋に入ってくるようになると、それらの純白の磁器と美しい色絵の人気は沸騰し、ヨーロッパの王侯貴族が競うようにしてそれらを求めるようになります。
ですので、いまでも英国のお城やマナー・ハウスには、よく日本の柿右衛門などの磁器がよく飾られているんですよ。
「マナー・ハウスに日本の磁器?」
「似合わないんじゃないの?」
と思われるかもしれませんが、西洋のキャビネットの中で輝く、日本の一級品は誇り高く、周りの風景ととても美しく調和しているんですよ。
そうして王侯貴族が大枚をはたいて、東洋の磁器を買い集めていたのですが、それにも限界があります。
そこに登場するのが、ザクセンの選定皇、フリードリヒ・アウグスト1世(後のポーランド王 アウグスト2世強力王)でした。
アウグスト皇自身が、東洋磁器のコレクターであったため、強い信念(執念?)をもって、白磁開発に取り掛かることを決意します。
数百年もの間、西洋では錬金術または魔術のようなものとされてきた、白磁の開発の夢をアウグスト皇は、たまたま知り合った錬金術師のベドガーに託そうというのです。
さて、二人の運命や如何に!
続きはまた明日です。また明日も楽しく、アンティークのお勉強をしましょう!
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